プーチンは経済成長を捨てて侵略する選択を―プーチンは何を考えて行動しているのか―

(注)85 年まではアラビアンライト、86 年以降はドバイの原油価格
(出所)BP 統計 下記の小宮山涼一氏の文献の図表に加筆
最近の原油価格高騰の背景と今後の展望に関する調査(2005年10月)
http://eneken.ieej.or.jp/data/pdf/1154.pdf
 




ロシアのプーチン大統領は4日、モスクワで今後の施政方針を示す年次教書演説を行った。(中略)大統領は今後の経済成長に関しては構造改革を進めることで「3~4年で世界平均(約3%)以上の成長率を達成する」と述べた。だが、年次教書演説で示した経済対策はいずれも小手先の内容にとどまり、手詰まり感も見えた。
 
ロシア大統領、欧米との対決姿勢強調 施政方針演説 ルーブル安対策も加速
(12/04-2014 日経)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H8J_U4A201C1FF2000/




上記報道のように、プーチン大統領は昨年12月4日、経済の悪化が深まるなかで経済の「構造改革」を行ない、ロシア経済を苦境から脱出させることを国民に向けて表明しました。
 
このロシアの経済構造改革については、プーチンの施政方針演説のまえ11月にCSISのアンドリュー・クチンス氏が、崩壊前のソビエト連邦の指導者が構造改革に失敗した状況に酷似していると言って、非常に悲観的な見方をしています。そしてそれが、次なるプーチンのアクションを呼ぶとも言っています。
 
【◆◆以下の記事は有料メルマガ12月11日号の一部で、それに加筆したものです】
【2】 プーチンは経済成長を捨てて侵略する選択を
 
       ―プーチンは何を考えて行動しているのか―
 
戦略国際問題研究所(CSIS)が2015年の国際情勢について長編の予測集を出しています。その中でロシアが専門のアンドリュー・クチンス氏が、リセッション間近と言われる悪化しているロシア経済のなかで、プーチンがどのように考えて行動しているのかを、『プーチンのジレンマ』という記事で解説しています。
 
そこでは、経済の構造改革と経済成長を断念せざるをえなかったプーチンが、国外への侵略を活路にして権力の延命を図る姿が解説されています。
 
Putin’s Dilemma (「プーチンのジレンマ」 11/13-2014 戦略国際問題研究所 PDFファイル)
http://csis.org/publication/putins-dilemma
 
この記事の一部を抄訳します。
 




(抄訳開始)
 
プーチンは大統領に就任して以来、二期にわたって(2000~2008年)、年に約7%の経済の成長をなし遂げてきた。ロシアの石油と天然ガスの生産高を飛躍的に増やしたことが、高い経済成長を支えた。世界的な経済危機の後でさえ、2010年と2011年には4%以上にまで回復させた。
 
プーチンに対する一貫した政治的に高い評価の基盤は、ロシアの人々の、経済の見込みが絶えず良くなっていくという認識であった。
 
プーチンが2012年5月に大統領の職に戻った時、彼は難しい選択に直面した。その時、経済の停滞の兆候がすでに明らかになっていたからだ。彼は増えていた中産階級を、彼らの経済的不安に対処することによって吸収し、構造的な経済改革に着手するか、または、彼の「垂直なパワー」と呼ばれる政治的な基盤を弱体化させる危険を冒すかの、どちらかの選択に直面した。
 
プーチンのジレンマは、1980年代初期のソ連政治局を思い出させる。
 
石油による多くのドル収入にもかかわらず、ソ連経済は構造的に非常に非効率であったために成長率はゼロに近かった。
ソビエトの経済停滞が深い底にあった時、ブレジネフと彼の後継者たちは、構造経済改革は政治的に危険すぎると判断して、改革をせずにどうにか切り抜けようとした。
 
もし、原油価格が高いままであったなら、その動きはうまくいったかもしれない。そしてソ連は持ちこたえていただろう。
しかし言うまでもなく、原油価格は急落し(訳注:1981~1986年にかけて)、ソ連は改革を試み、ソ連崩壊は起こった。(※ 冒頭グラフ参照)
 
プーチンは、クリミア併合とウクライナでの戦争の前でさえ、原油価格が歴史的に高かったにもかかわらず、(ソビエトの前任者たちのように)構造改革を避けてきて、ロシア経済は停滞を続けてきた。
 
それはプーチンが、政治的な人気と権力の基盤のための経済成長と繁栄を断念することを、すでに決心したように見えた。
 
このリスクの高い政治戦略は、彼の指導力を正当化する<新しい政治的な物語>を必要とする。経済成長と繁栄をもはや絶対必要なものではないとするならば(権力維持のために)、<新しい政治的な物語>を必要とする。
 
この新しい政治戦略(物語)は2012-2013年に形ができ始めた。それは「公式な愛国心」という19世紀のロシアの政策の中にある伝統的なロシアの価値観に重点を置くことを、(国民のあいだに)強化することとともに行なわれた。その「公式な愛国心」は独裁政治、正統性、ロシア人の愛国心の3つを中心に展開する。
 
ウクライナの危機は、この新しい政治的物語をさらに強化するための理想的な機会を提供した。
 
(抄訳終了)




上記のクチンス氏の記事から考えると、プーチンが米国のシェールオイルの生産拡大と中国などの需要減少から、2014年中からの原油価格の下落をある程度予想していれば、プーチン政権の第3期(2012年~)で経済構造改革をすることは、崩壊したソビエトの二の舞となると考えたでしょう(実際には予期せぬサウジの生産量の維持で、原油はさらに大きく値下がりしました)。
 
だから経済構造改革による経済成長をあきらめて、ウクライナへ侵略を始め、国民の関心を国内から外部へ向けた。サウジアラビアなどがこのまま減産せずに、シェールオイルの生産縮小が進めばいずれ原油価格は上昇を始める。
 
そうやって権力の延命を図っていけば、やがてアジアと欧州のユーラシア大陸での広範囲な石油・ガス事業と、地球温暖化とともに重要視されつつある北極圏のエネルギー資源と北極海航路での地政学的な優位から、大国への復権が果たされる。
 
クチンス氏の分析を補って言えば、短期的な経済成長を断念したプーチンの中長期戦略は、大まかにいって以上のようなものであったのではないだろうか。しかし、プーチンの誤算はサウジなど湾岸産油国の生産量の維持でした。
 
プーチンがウクライナ国内の「ノヴォロシア」と呼ばれている地域の、失地回復のビジョン(構想)を掲げていることは、クチンス氏のこの記事の中でも取り上げられていますが、同氏の別の記事から「ノヴォロシア」の失地回復(復興)について、以下の記事に地図入りでまとめてあるので参考になればと思います。
 
プーチンは停戦を遵守するかー「ノヴォロシア」の復興ー(10/09-2014 拙稿 )
http://blogs.yahoo.co.jp/bluesea735/39109236.html
 
私がこれまでロシアのプーチンを注意して見てきているのは、米欧の経済制裁によってロシア経済が悪化を深めていけば、残忍で危険なこの権力指導者は、きっと何かしでかすと思っているからです。
 
2002年に起きたチェチェンの反政府武装勢力によるモスクワでの劇場人質事件では、人質のロシア国民130人が死亡しましたが、その際の人質を巻き込む作戦は、人質の身体に対して乱暴かつ残虐で冷血なやり法で、多数の市民が犠牲になり死亡しました。(※ 注-1)
 
ユダヤ系ロシア人でジャーナリストのマーシャ・ゲッセン氏は『顔の無い男』という著書の中で、「プーチンほど残虐な指導者はいない」と非難しているそうです。(※ 注-1)
 
■ 注
※ 注-1:『アメリカはいつまで日本を守るか』, 第7章 アメリカはいまもロシアを敵視している, (日高義樹著 2013.11.30刊 徳間書店)